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【訃報】中日ドラゴンズの木下雄介投手が死去。享年27。7月6日練習中に倒れる

【訃報】中日ドラゴンズの木下雄介投手が死去。享年27。7月6日練習中に倒れる

木下 雄介(きのした ゆうすけ、1993年10月10日 – 2021年8月3日)は、大阪府大阪市平野区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズに所属していた。 大阪市立加美中学校時代はボーイズリーグの加美ウイングスボーイズ(現:大阪加美ボーイズ)でプレー。徳島県の生光学園高等学校に進学
19キロバイト (2,247 語) – 2021年8月5日 (木) 18:56
まだ20代。早すぎる。ご冥福をお祈りいたします。

1 記憶たどり。 ★ :2021/08/06(金) 05:57:18.08

https://news.yahoo.co.jp/articles/55151c37f97bb03b7e20c22e803c175cd67effd9

7月6日の練習中に倒れて救急搬送されていた中日の木下雄介(きのした・ゆうすけ)投手(27)が
死去していたことが5日、分かった。関係者によると、3日に亡くなったという。
4年目の昨季にプロ初セーブを挙げ、さらなる飛躍を目指した今季は4月に右肩、右肘を手術。
懸命にリハビリに励んでいたが、帰らぬ人となった。育成入団からはい上がった苦労人の突然の悲報。
チームへの影響が心配される。

現役選手の突然の訃報。関係者によると木下雄投手は3日に息を引き取ったという。まだ27歳。
復帰を目指して必死にリハビリを行っていた中、まだまだ続くと思われたプロ野球人生が、
そして愛する家族と歩んでいた人生までも終わりを告げた。

今季は開幕1軍が目前だった3月21日の日本ハムとのオープン戦で右肩を脱臼。
4月に肩、右肘の内側側副じん帯の再建手術(通称トミー・ジョン手術)を行い
「一日でも早く復帰できるように前向きに頑張っていきます」と語っていた。だがリハビリに励んでいた7月6日。
ナゴヤ球場で息苦しさを訴えて倒れた。名古屋市内の病院に救急搬送。予断を許さない状況が続き、
ここまで懸命な治療が施されてきたが実らなかった。チームは親会社・中日新聞社の職場接種を利用して
新型コロナウイルスのワクチン接種を行っており、木下雄投手ら2軍選手は6月28日に1度目の接種を行っているが、
今回との因果関係は不明だ。

不屈の精神を表す男だった。生光学園から駒大進学も右肘の故障で1年で中退。
地元・大阪でスポーツジムのインストラクターとなった。たまたま誘われた草野球で久々に硬式球を握ると
2年間のブランクがありながら剛速球を連発。野球への情熱が復活した。NPB入りを目指し
15年春に四国・徳島に練習生で入団。16年の育成ドラフト1位で中日に入団した。
150キロを超す直球と落差のあるフォークを武器に18年に念願の支配下登録。背番号は201から98となった。

19年7月には「野球をもう一度やると言った時、めちゃくちゃ喜んでくれた」という最愛の父を交通事故で亡くした。
開幕1軍が濃厚だった昨年も春季キャンプ終盤に左足を負傷して手術。悲運に見舞われても、
そのたびに努力を重ねて乗り越えた。昨年はコロナ禍で開幕が遅れたこともあり1軍で18試合に登板し
プロ初セーブも記録。今季も大きな故障に立ち向かっていたが、帰らぬ人となった。

幾多の困難を乗り越え、周囲に勇気を与えた男の早すぎる死。家族、友人、同僚らの悲しみは計り知れない。

◇木下 雄介(きのした・ゆうすけ)1993年(平5)10月10日生まれ、大阪府出身。生光学園では甲子園出場なし。
駒大1年時に右肘の故障で中退。15年入団の四国・徳島を経て16年育成ドラフト1位で中日入団。
18年3月に支配下登録。今季は3月21日のオープン戦で右肩を脱臼。4月に右肩と右肘の手術を受けた。
通算成績は37試合で0勝0敗1セーブ、防御率4・87。1メートル83、80キロ。右投げ右打ち。

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